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笑顔の君に会いたくて何か言ってほしい想いの二人 ~VJS感想
最後まで出演の発表がなくて、フライング的に漏れた情報にぐらぐらした15日のちょっと前。
(既にチケットはソールドアウトでしたしね)
ライブビューイングの会場すら遠くて、WOWOWのオンデマンドの発表のおかげで何とか心落ち着いたせいらですよ。こんばんは。

恐ろしいことにタイムテーブルみて小躍りした矢先、ちょっと待て!その時間、二ヶ月も前から女子会の約束してたじゃないか!!!と思い出すとか年は取りたくないわね。トホホ。。。。
WOWOWの契約すら間違って登録したりでカスタマーセンターのお姉さんに泣きついたり「せいらさんらしい」顛末はツイッターで報告した通りでございます。

すったもんだのあげく、女子会には30分遅れると連絡を入れ、旦那のお呼びもシュウトメの連呼もスルーしてオンデマンド放送にしがみつきましたよ。

結果。

もうやるせないやら、嬉しいやら、感激やら、苦しいやら。。。。鳥肌でした

とにかくピアノ一台中央に運ぶのにどれだけ時間かかってるの~そこで調律してるの???位待ちましたよね。
会場のアナウンスが場所を詰めてほしい的なニュアンスだったことに納得しました。
、現地にいる明らかにHYDE目当てじゃなかったはずの人たちもこのユニットは見ておきたい思いをもたせられる魅力的な組み合わせだったって事なのでしょう。。
ようやく暗転した舞台袖から、白い人と黒い人が肩を並べて現れたときの会場の歓声とどよめきがそんな思いを伝えてきました。
オーディエンスが落ち着くまでの所要時間だったんでしょうね。
これから始まる、厳かで上質な二曲のために。

白い王子様みたいなYOSHIKIさんがスケルトンのグランドピアノに向かい、少しはにかんだ黒いお姫様みたいに美しいhydeさんが傍らに立っている、ありそうでなかった不思議な構図。
これは昔、夜のヒットスタジオで坂本龍一がピアノで戦場のメリークリスマスを演奏したとき、優しいまなざしで彼を見つめるデヴィッド・ボウイの慈愛に満ちた表情ととてもよく似ていると思ったのでした。
ただ、今回は優しく見守っているように思えたのはYOSHIKIさんの方。

YOSHIKIさんの長いピアニストの指から奏でられた一音にどっとこみ上げるものがありました。
「MY HEART DRAWS A DOREAM」この歌にどれだけ助けられてきたか計り知れないので。
「夢をえがくよ」とみんなと声を合わせるとき、そこには輝く未来があるような、ものすごく前向きな気持ちにさせてもらえるすばらしい楽曲だと信じているから。
でも、それはこのメロディラインが、飛翔するように明るくて柔らかくて、hydeさんのまろやかな音域と合っているものだからであって、歌詞を追っていくとそんな甘さが無いことにも気付くのです。
「君が笑顔でいられるように」諦めずに二人で息を合わせて飛び立とうと誘うのに、それは現実にはそうはいかないから
あれほど夢を描いても、それは彼の描く君に対する希望であって結局は笑顔の君に会えないかもしれない迷いの中「笑顔のままのきみに会えると良いな」で〆められてしまうわけです。
hydeさんの歌詞はどんなに明るくて前向きな旋律でも油断は出来ません。
希望に満ちているはずなのにどこかチクっと針で刺すような痛みを伴います。
HONEYしかり、SNOW DROPしかり。
なので、ラルクではそんな歌い方しないよね?っていうちょっとした叫びに似たフレーズがあったことに驚きました。
この楽曲の何かを希求している様が感じ取れたので。

そしてそれよりさらに痛みをもつ楽曲が「Say Anything」
正直この曲がヒットしていた頃、私は子育てに追われていて、音楽シーンはほとんど身近ではなかったので、初聴きだったのです。
だからToshiさんの歌うオリジナルは存じ上げませんが。
hydeが身も世もない思いの丈を込めたように歌うその迫力と、激情に圧倒されてしまいました。
hydeさんより歌唱力のあるシンガーは結構な人数でいるのかもしれない。
けれどhydeさんほど歌の世界を鮮明に浮かび上がらせることのできるボーカリストはそんなにいない。
美しくて、切なくて、押し引きを技術と表現力と、それこそ楽曲に対する理解を相当深めて臨んだのに違いないと思わせてくれたのです。

心通い合っていた二人が、どこかでその想いが食い違い遠く遠く離れてしまった。
何か言って。
何でも良いから、想いを語って。
何でも言って。

これは、私が次女に言い続けた言葉。
諍いがあると黙ってしまう。
黙って閉じこもってしまって、そのからから出てこようとしない。
何か言ってくれなくちゃ、どこから思い違いをほどいていけば良いのかわからないじゃないの。
とにかくしゃべってほしい。誤解を誤解のままで切り捨てないで。
どんなにこちらが歩み寄っても受け入れないその頑なな頑固さに、焦りと怒りと悲しみと、とにかく複雑な感情が入り乱れた難しい頃でした。

繰り返しあいてに求めてもそれは叶わず、既に切り捨てられているかもしれない不安や、多分両肩をつかんで揺すぶって問いただしたいような憤りもそこには存在しているようで、やはり最後はハッピーでない終わり方でした。

語り部のようにその世界をまざまざと見せつけるような二人のコラボ。
この二曲のチョイスはこの組立方からしてちょっと格式の高い空間だったように思えました。
高みに登っている人たちだからこその孤独なんかも感じて、私が日々感じている小さな絶望もこの楽曲の中の「彼」のように救いのないものでもないように思えてくるから笑えます。

YOSHIKIさんの心配りや、後輩の位置にちゃんととどまって「であります」とか言っちゃうhydeさんにちょっとにやにやしちゃう途中MCもあったりして、WOWOWさん、この二人の2曲は割愛しないでくださいね!!!2曲しかないんですから大丈夫ですよね!!!

と拳をにぎった私です。

長々失礼しました。





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想いが形を作るのかな ~旦那の病と母の死とビスパに行った話~ @2015
   これはもうずっと前に保存してた日記。
恐ろしいほどタイムラグがあるので、随分前の亡霊のようなものですがここで完結させたくて投稿します。



VAMPSオーラスも終わり、ビーストパーティの発表があり、しばらく寂しい思いをしながらも海外で戦う彼らを遠い日本で応援していたファンたちをねぎらうようで飽きさせないスケジュールが明らかになりました。
そして、一気にL'Arcの夢州LIVEって、、、心臓に悪い。
(とか書いて、書き終わらずほったらかしにしている間にそのビーストパーティも終わってしまい、先ほどanationも終わってしまいましたよ。)
さて今から書くのはただの愚痴です。
この類いを発信すると、受け手も恐ろしいほど嫌な気分になるのも重々承知なので、私的恨みの記録で心汚されたくない方は回れ右でお願いします。
そもそも、旦那の入院でさいたまスーパーアリーナを諦めてたはずの私ですが、旦那の状態が精神的にも身体的にも落ち着いてきたことを感じ出すと、
「あれ??日曜日日帰りなら行けそうじゃね?」
とか思うようになってきました。
返って入院してくれていた方が私的に出やすいんじゃないかな。とか。。。
30日のチケットは譲り先が見つかりましたが、31日の分は見つからず最後まで手元にありましたし。
これは、どこまで飢えてるんだろうね。なんて自嘲してしまいそうなレベルで。
そんな脳天気な私の後頭部を張り倒すような電話が25日の夕方かかってきました。
兄からで。
おかあさん、心臓が止まってしまったって電話が入ったからすぐ行ってくれん?オレ仕事すぐ片付けていくから」
「は???」
「だから、蘇生処置して一度は戻ったんだけど、すぐだめだったって。。。」
「嘘だ。うそだよ。そんな。。。」
とにかく、取るものも取りあえず実家に行こうとした私の慌ただしさをいぶかる姑に事の顛末を話すと、自分も「さよなら」を言いたいから連れて行けという。
なにを考えてるんだ!?
実家の母の死を「すぐ駆けつけてバカみたいに号泣して優しい人を演じる」イベントにするんじゃねぇ!!。
そして、なんであんたは生きてるんだ?私の母は死んだのに。
何が何でも着いてこようとする姑を振り切って運転しながら、私や私の実家を思いやるわけでもなく自分の感情を優先する傲慢ぶりにその類いの感情に支配されていたわたし。
母は聡明な人でした。
自分にも他人にも厳しい人でした。
おさない頃からあまりにたびたび暴力を振るわれたのでいつも顔色うかがって生きてきました。
でも、正義感と自分の尺度に自信を持った人でした。
そして、私を愛していることを言葉以上に態度でわからせてくれる人でした。
HYDE関係で思い出すのは実家に行くと嘘をついてZEPP NAGOYAに行ったとき、姑から実家に電話があってとっさに私は買い物に行ってもらってると嘘ついてくれたこと。
二度とダシに使うなとめちゃ怒られたけど、帰ったら旦那に「頭の良いおかあさんで良かったね。」と言われて何だか誇らしかった。
そんな母が骨折をきっかけにみるみる母ではないような人に変貌してしまったときの、もう、この世に母は居ないのだという喪失感については
I'm so happyと思える人生←こちらにて書かせて頂きました。
カーステレオからMY FIRST LASTが流れてきて、「物質的な死」と「精神的な死」では本人の持つ感情としてはどちらに寄り添えるんだろうとおもったり、I'm so happyのようなこの世に愛を注ぐような感情は芽生えたのだろうかとおもったり、とにかく運転する腕がぶるぶる震えるくらいカオスな思考に支配されていました。。
母が入所していた施設は老人型入所施設なので「医療行為は行いません」と入所の時言われていました。
それ故パーキンソンの治療はストップしていて症状の悪化は何となく気づいてはいたんですが、投薬に伴う幻覚のようなものも遠のいていたのでおかしな事もあまり言わなくなっていたのです。
最期をここで迎えることはないと言われていたのに、なぜ施設で死んでしまったのか....。
個室に移された母の遺体のそばで兄嫁さんが号泣していました。私が入ったことに気づいてこちらを向いた顔の、今し方自分を連れて行けと私に食い下がった悲劇のヒロインみたいな表情だった姑の顔とのあまりの違いにこみ上げるものがありました。
この人たちは良い関係だったんだな。と。。。
母はこの人が大好きでした。
「お義姉さんがあんたじゃなくて良かったよ。」が口癖でした。
「朗らかで、優しくて、おおざっぱだけど、気の利かないところが意地悪じゃなくてさっぱりしたB型」という評価で。
細かくて口うるさくてネガティブ思考で自尊心の塊みたいだった母には救いになる人だったんだと話を聞くたびに思いました。
「お義母さん、まだ暖かいんだよ。寝てるみたいにしかみえないよね。」
お義姉さん、触ってくれたんだ。。。。
私は触れないよ。姑の遺体なんかに。。。。
「おかあさん」
ふれた肩は言われたとおりまだぬくもりがありました。
苦しかったんだろうな。。。。
発症から30分で死んでしまう誤嚥だなんて。。。。(死亡診断書には心不全と書かれていたけれど)
帰りたい帰りたい
といつも言っていた自宅に一晩安置して翌日通夜翌々日告別式になりました。
12時近くに帰宅した私に母の死に際の話を聞き出した時の姑の
私もそんな風に楽に死にたい
と言った言葉を私は忘れません。
楽だったなんて誰も言ってない。どれだけ苦しかったかなんてあんたにわかるのか????
もう呪詛の言葉しか私の頭にはありませんでした。
「舅が姑を迎えに来ないのは、この浅はかな思考回路が苛立ちを与えるからなんだな。」
私の母を連れて行くくらいなら奥さん迎えに来いってば。
そうしたら一気に小姑とのこじれまくった相続も片が付くし、何より私が平和になる。
その後通夜告別式にもしっかり親戚に連れてきてもらい、棺の枕元で泣く姿に虫ずが走る思いをしました。
私と子どもたちはだまされません。
この人がこんな風に泣くのはいつも自分を演じてるとき。
私の母が死んだって悲しいわけはないのだ。
あれほど周りに言ってきたではないの。
母の悪口さんざん吹聴してそんな母に育てられた私がいかに根性が悪い嫁なのかを。
とにかく色々あったけれど、旦那入院中にあっけなく母はこの世から物理的にも居なくなってしまったのでした。
すでにそれから3ヶ月経過しているわけですが、ふしぎと母が母でなくなってしまったときのような衝撃はありませんでした。
母の死をあのとき感じ、ようやく弔ってあげられる完結したような充足感もほのかに感じていました。
形がなくなってしまうのは悲しいことでしたが、それより私は心のよりどころを消失したあの日が本当の告別だったと思ってしまうのです。
今の私が母を思うとき、思い浮かぶのはどこまでも理路整然と道を説く母、強くて逞しくて打てば響くように指針を指し示す母なのです。
生きているとき母を思うと施設に入っている訳がわからなくなってる年寄りが浮かび、切なくて悲しくてやるせない思いばかりが襲ってきましたので。。。。
そしてビーストパーティです。
旦那が入院したままなら二日間参戦したいと思っていました。
ずっとずっと恨みと憎悪と悪意に満ちた家に姑と二人でいたわたしにそのくらいのご褒美くれても罰は当たらん!。と旦那に迫ってね。
結局旦那が7月の上旬退院になりまして、泊まりの遠征は諦めました。
「また明日な!」
とHYDEに言われると泣きたくなるくらい悲しくなるので行くなら二日目と決めていました。
ラグーナ以来のビーストパーティ。

何より感動的だったMY FIRST LAST。

この曲の歌詞にHYDEの生と死の狭間の想いが見て取れて、誰もがいずれ体験する間際の時の残していく者への溢れる想いに共鳴するのです。

この1曲のためだけでも行けてよかった。
元気な皆さんにあえて良かった。
そんな1日になりました。


ここからあと何を書こうとしていたのかな。。。
去年の夏の話。
遠き過去のようでつい最近のようでもあり。一周忌も終わって、今頃投稿します。

ブログを書かない事を心配してコメントくださった皆様。ありがとうございました。
これがお目につくといいのですが。。。いや、真っ黒な心をさらけ出してしまったので思いっきり引かれてしまったかも知れませんね。




さいたまスーパーアリーナへの道
我が家にとってとんでもない事態になりました。
そして5月30,31日行けると信じて疑わなかったVAMPSさいたまスーパーアリーナ行けなくなってしまいました。

すでにFCチケットは当選しており、今回のキャパの関係で行くつもりの方は皆さんもうチケットお持ちとは思いますが募集させてください。
さいたまスーパーアリーナVAMPS公演
5月30日(土)
5月31日(日)
両日ともスタンド座席指定

定価にてお譲り先募集します。

始まりはかかとにできた小さな傷でした。
元々旦那は糖尿病で、42歳の時心筋梗塞を患っていました。
その後病気のオンパレードで、この4年前の冬から膠原病にもかかっていました。
冬になると状態がひどくなるのだけど、春になると和らぐのであまり気にしていなかったのですが。。。。

今回、春になってからの方がダメージ大きくて、そのうえその傷を医者に見せることをしばらく怠っていたのが間違いでした。
絶不調が続き、いよいよ自分でもまずいと思ったのか入院を承知しました。
さんざん入院を勧めたのに聞き入れなかったこと、本人が一番悔やんでいるんだろうなとは思うのですが。。。
足から入ったバイ菌が体に回っているのが不調の原因と。。。。

入院は早くて3ヶ月、リハビリを入れたら長くて半年と言われました。
最初に入院したときは2ヶ月見てくださいとのことだったのでギリギリさいたまに行けるって思っていたんですが、私の考えも甘かったです。

旦那がいないこの家でババとの二人暮らしが始まり、これからのことを考えると不安でたまりません。
会社には事情を話してフルタイムで働けてもらえるようお願いしました。
子どもたちにも相談しました。
あとは自分が頑張るだけだって今は開き直る覚悟ができています。

そんな事情で、あれほど楽しみにして合い言葉にもしていた「さいたまでお会いしましょう」が使えなくなってしまいましたが、今アメリカでそこそこアウェイな状況で戦ってる彼らのこと頭のどこかに棲まわせてやっていこうと思います。

行ってもいいよ~~~って方、もしおみえになったら拍手でもコメントでも結構です。ご一報くださいませ。
宜しくお願いします。


ご無沙汰しています。
VAMPARKから長いこと書いていませんでしたが、皆さんお変わりありませんか???
あの後、
・VAMAPSのZEPP NAGOYA二日間参戦
・「館長庵野秀明 特撮博物館」見学
・年末年始のシステム変更
・2種証券外務員試験
と私的にいろいろなことがあったのですが、残念ながらブログに書き留める元気と根気に欠けていましたね。

VAMPSに至っては、すでにZEPPツアーの全日程を追えてしまって今更な感想もどうかと思うのですが、まぁ、とにかく新しいアルバムのおかげでライブの色合いが変わった感じと変わらない感じがごちゃ混ぜでおもしろかったです。
おもしろかったというのは名古屋のライブが早い段階であったのでまだ試験走行的な感じが否めなかったってところなのでしょうか。
BLOODSUCKERS
今年のVAMPSがこのアルバムを中心にして国内外に打って出ようという野心をアピールできる名盤です。

とはいうものの、ハロウィンパーティで試験演奏したときの心許なさはみじんもありませんでしたね。
あのときの演奏するのが必死!って言う感じも見受けられませんでした。
オーディエンスも名古屋ではすでにノリを手探りする状態から一歩踏み出している感じがしました。

ZEPPツアーは毎回本当に「魂入れ込んでる熱気を暴力的にこちらに投げかけてくるパフォーマンス」が魅力で、だからこそそれは演奏し慣れて先のわかる、アーティストオーディエンス両者が安寧世界に居てはならないイメージがあります。

そういった意味で「BLOODSUCKERS 」の楽曲はどれもどこかぎらぎらした感じがしました。(例えミディアムナンバーであっても)
演奏の完成度がどうこう言うより、音の善し悪しがどうというより、とにかくそこを積み上げていく姿勢は本当に尊敬できると常々思っています。
その過程にライブを体験できたのは嬉しいことだったなと。

まぁ、個人的なことで言うなら
会社のシステム変更のあまりの激変にそこそこ老いた私の脳みそはついて行けないわけですよ。
証券外務員なんて書かれてることの単語の意味を把握することすら四苦八苦なわけですよ。
実際10年前に受けた生保の試験や、新システム移行(10年前もあったのだ)にこれ程の苦しみを感じませんでしたからね。
受けなければ受けないで何とかやって行かれる状態から、何であれステップアップを図らざるを得ない状態に身を置いたのであれば頑張るしかないわけで、R25でHYDEさんが言った年齢を言い訳にするかっこ悪さをひしひしと感じていたのでした。

引き替え彼はどうなんだろうね。
いつもはこういう自分のポリシー的なことはあまり語らない人だと思っているので(細々したことじゃなくて根幹な部分ね)ちょっとした衝撃とその潔い漢な部分をしっかり見せつけられて、もう、感動するしかないでしょう。と思ったのでした。

ですから、彼がそのZEPPツアー終了後インタビューで答えたとある部分を取り上げて悶々とすることは私はこれっぽっちもありませんでした。
彼の考えに自分の気持ちを左右される事もありませんでしたし、それについて深く考える事もありませんでした。
彼が与えてくれる「生きる姿勢」のグレードに、その過程に水を与えられた一員であれば嬉しいなと思うことはありますね。

これを献身ととらえるか、盲目ととらえるかは勝手ですが、とにかく私が今生きて、感動して、明日への活力を求めたとき、そこにどこまでも前向きにステップアップして行こうと言う野心の見える人はその年齢が高ければ高いほど指針になるのです。

若い人には理解できないだろう、防ぎきれない老化をあっさり認めないのは実は凄く勇気のいることなのです。

今から始めることを恥じない。
国内では、もうイエスマンしか居なくなってしまったであろう人が、それでもこれから外にでる。
そういうモチベーションを持ち続ける気概が気高いと思うのです。
似たような年齢の彼の周りの人が(メンバー、スタッフ双方)そんな彼についていくのは大変なんだろうとも思うし、摩擦が何もないとは思わないけれど。。。
だから感謝なのです。
自分一人では成せない領域ですからね。


そういう部分ひっくるめて、VAMPSをこれからも応援したいし見届けたいと思ったここ最近のせいらでした。




親の気持ちと子供の心
13日(木)
VAMPARK行ってきました。
14日(金)
会社で新システムのオペレーションテストがありました。
15日(土)
私にとってのツアー初日でした。

VAMPARKはやはり映像ですね。
AB両方観られるように3回目と4回目で続けて入場し、4回目のBは3回通り映像だけ見て帰ってきました。
どちらも良かったですが、やっぱりあのフェスの顛末の映像には心に来る物がありました。
あ、ほんのちょっとネタバレちゃうからだめな人は回れ右でお願いします。

まず日本ではあり得ないほど情け容赦のない止め方をするんだなとビックリしました。
ほぼ体当たりのよう。。。
小柄なHYDEさんがでっかいスタッフに突き飛ばされてるようにしか見えなかったですからね。
あの大音量の中中断させるのも体力が必要なんだろうなと思いましたけども。。。

それをされた後のHYDEさんが「ホワイ??」な感じで両手を広げ肩をすくめた様子に痛みを覚えました。
最初全然のってない観客がそれでも少しずつリズムに合わせて揺れてきているのがわかるだけに、あのときはあっけにとられて退場するしかなかった彼らも後々はきっと悔しさがぶり返すんじゃないかと思いました。
ブーイングのようなVAMPSコールも確かに聞こえ、あのときVAMPSについては合格不合格二種類の真反対の記事が飛び込んできましたけど、正直あれほどディスられる(あえていうならぼろくそ)書かれた意味がなぜなのかわかりません。
ライターの音楽の好みやこのフェスのカラーと、VAMPSの演奏した楽曲がコンセプトを外してた、ただそれだけのことなら痛くも痒くもないと思えば良いのかもですがね。。。
少なくとも、それなら力量を評価されたと思わずにいられますから。
あぁ、いつもの双子さんが水着で二人で頭振ってるのが嬉しかったです。

そういえば止められてしまったことに気づかず、ずっとドラム叩いてたアーリーにパリライブのユッキーが被ってしまいました。
kenちゃんが撃たれた事に気づかず、ベースやボーカルが演奏を止めてもしばらく叩き続けていましたよね。。。

一曲なくてもちゃんと残せたと言い切って乾杯した彼らにブラボーと言っても良いんじゃないかと。。。
変な話私たちファンが自虐に走ってどうするんだと。。。
手応えはちゃんとあったと言い切ったVAMPSの言葉の裏付けはきちんと映像に残されてる。
それだけでこの映像を見る価値はあったと思いました。

そして14日私は、ちょっと立ち直れないような大失敗をしまして。。。。
多分テスト受けた職員の中でも最低ラインのできばえだったのではないかと、凹みまくりました。
いや、再テストになるだろう結果は月曜日か火曜日(この日だとライブ最終日で早帰りさせてもらうから結果は見られない)なので、まだ凹みは回復していませんが。。。
全然寝られず、3時半すぎ。。。。いくらなんでも翌日はスタンディングだぞ~~~。

そんな凹んだ気分のまま15日はやってきました。
みぃちゃん、ちさとんさん、Irisさん、安二郎さんとでびっくりドンキーでおしゃべり。
実はみぃちゃんも結構な悩みを抱えて、凹みまくってる私と二人でうじうじしてたわけですが(二人ともA型なので立ち直りが遅い。)そのとき交わしたたくさんのおしゃべりでみぃちゃんはすくわれたようでした。
ずっと前ブログに書いた「でんでんむしのかなしみ」です。
悩みを抱えていない人なんていないんだよ。ってね。。。
たくさんの人と話すと、たくさんの人の生き様を観ることができる。
小さな世界で小さな事に悩むことが、なおさら自分を小さくしてしまうことに気づくということで。。。
あのとき、表層的な話ばかりじゃなくて凄く嬉しかったな。
皆さんありがとう。。。

でもね、でもね、一つ言わせて。
親って時々無神経で、子供に深い傷を与えてしまうことはあるけれど、だからって愛していないんじゃないんだよ。。。。
親もこの年になって思うけれど、案外子供なんです。
親になったからいきなり人格ができるわけでもないんです。
子供故考えなしに放つ残酷な言葉にうちひしがれることは親の方が遙かに多いんです。
言った方の子供はおさないから忘れてしまうけれど。

ただ、少なくとも私は子供を憎んだり可愛くないと思ったことはありません。
「可愛くないことばかり言うんだね。」と言ったことはあります。
心底「バカ!」とののしったこともありません。(どの子も遙かに私より賢かったので)

今生きていてくれるみんな誰かの子供で、私もそうなんだけど、親の愛情を信じられない事ほど悲しいことはないなと改めて思ったのでした。
それこそ私は結構な暴力を母から受けてきたけれど、だから子供は絶対叩かないと長男を産んだとき思ったし、何でもして上げたいと思った。
旦那のためには死ねないけど、この子のためなら死ねるって本気で思ったよ。。。。

そして、みんな生きててくれてこうして出会えて良かった。
生きててくれることが親孝行だからね!!!。(だから体は大事にしてください。)
何も「親のためにしてあげなくちゃいけない」なんてことはないんです。
生まれてくれただけで、産んでくれた恩はすでに返しているんですから。

なんてね、そんな話題に何故だか走ってしまったびっくりドンキー。
一人親立場で「みんな愛されてるはずだ!」と持論を展開したせいらでした。

もう一回言うね。
親は案外子供です。
自分勝手だし、わがままだし、子供は自分の思い通りになると信じてる。
だからほんのちょっと意にそぐわないことをすると軌道修正を図りたがる。
子離れできていない親も多いし、子供の心配をしているようで、すでに親の庇護を必要としない子供の負担になってないかと疑心暗鬼になったりもする。
そして、自分の人生は何だったかと黄昏れたりもしちゃうんだよ。。。(残り少なくなってるからね)

みなさん、親を愛してあげなくてもいいから、自分が幸せでいてね。。。(それが親孝行だと思ってるよ)



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