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笑顔の君に会いたくて何か言ってほしい想いの二人 ~VJS感想
最後まで出演の発表がなくて、フライング的に漏れた情報にぐらぐらした15日のちょっと前。
(既にチケットはソールドアウトでしたしね)
ライブビューイングの会場すら遠くて、WOWOWのオンデマンドの発表のおかげで何とか心落ち着いたせいらですよ。こんばんは。

恐ろしいことにタイムテーブルみて小躍りした矢先、ちょっと待て!その時間、二ヶ月も前から女子会の約束してたじゃないか!!!と思い出すとか年は取りたくないわね。トホホ。。。。
WOWOWの契約すら間違って登録したりでカスタマーセンターのお姉さんに泣きついたり「せいらさんらしい」顛末はツイッターで報告した通りでございます。

すったもんだのあげく、女子会には30分遅れると連絡を入れ、旦那のお呼びもシュウトメの連呼もスルーしてオンデマンド放送にしがみつきましたよ。

結果。

もうやるせないやら、嬉しいやら、感激やら、苦しいやら。。。。鳥肌でした

とにかくピアノ一台中央に運ぶのにどれだけ時間かかってるの~そこで調律してるの???位待ちましたよね。
会場のアナウンスが場所を詰めてほしい的なニュアンスだったことに納得しました。
、現地にいる明らかにHYDE目当てじゃなかったはずの人たちもこのユニットは見ておきたい思いをもたせられる魅力的な組み合わせだったって事なのでしょう。。
ようやく暗転した舞台袖から、白い人と黒い人が肩を並べて現れたときの会場の歓声とどよめきがそんな思いを伝えてきました。
オーディエンスが落ち着くまでの所要時間だったんでしょうね。
これから始まる、厳かで上質な二曲のために。

白い王子様みたいなYOSHIKIさんがスケルトンのグランドピアノに向かい、少しはにかんだ黒いお姫様みたいに美しいhydeさんが傍らに立っている、ありそうでなかった不思議な構図。
これは昔、夜のヒットスタジオで坂本龍一がピアノで戦場のメリークリスマスを演奏したとき、優しいまなざしで彼を見つめるデヴィッド・ボウイの慈愛に満ちた表情ととてもよく似ていると思ったのでした。
ただ、今回は優しく見守っているように思えたのはYOSHIKIさんの方。

YOSHIKIさんの長いピアニストの指から奏でられた一音にどっとこみ上げるものがありました。
「MY HEART DRAWS A DOREAM」この歌にどれだけ助けられてきたか計り知れないので。
「夢をえがくよ」とみんなと声を合わせるとき、そこには輝く未来があるような、ものすごく前向きな気持ちにさせてもらえるすばらしい楽曲だと信じているから。
でも、それはこのメロディラインが、飛翔するように明るくて柔らかくて、hydeさんのまろやかな音域と合っているものだからであって、歌詞を追っていくとそんな甘さが無いことにも気付くのです。
「君が笑顔でいられるように」諦めずに二人で息を合わせて飛び立とうと誘うのに、それは現実にはそうはいかないから
あれほど夢を描いても、それは彼の描く君に対する希望であって結局は笑顔の君に会えないかもしれない迷いの中「笑顔のままのきみに会えると良いな」で〆められてしまうわけです。
hydeさんの歌詞はどんなに明るくて前向きな旋律でも油断は出来ません。
希望に満ちているはずなのにどこかチクっと針で刺すような痛みを伴います。
HONEYしかり、SNOW DROPしかり。
なので、ラルクではそんな歌い方しないよね?っていうちょっとした叫びに似たフレーズがあったことに驚きました。
この楽曲の何かを希求している様が感じ取れたので。

そしてそれよりさらに痛みをもつ楽曲が「Say Anything」
正直この曲がヒットしていた頃、私は子育てに追われていて、音楽シーンはほとんど身近ではなかったので、初聴きだったのです。
だからToshiさんの歌うオリジナルは存じ上げませんが。
hydeが身も世もない思いの丈を込めたように歌うその迫力と、激情に圧倒されてしまいました。
hydeさんより歌唱力のあるシンガーは結構な人数でいるのかもしれない。
けれどhydeさんほど歌の世界を鮮明に浮かび上がらせることのできるボーカリストはそんなにいない。
美しくて、切なくて、押し引きを技術と表現力と、それこそ楽曲に対する理解を相当深めて臨んだのに違いないと思わせてくれたのです。

心通い合っていた二人が、どこかでその想いが食い違い遠く遠く離れてしまった。
何か言って。
何でも良いから、想いを語って。
何でも言って。

これは、私が次女に言い続けた言葉。
諍いがあると黙ってしまう。
黙って閉じこもってしまって、そのからから出てこようとしない。
何か言ってくれなくちゃ、どこから思い違いをほどいていけば良いのかわからないじゃないの。
とにかくしゃべってほしい。誤解を誤解のままで切り捨てないで。
どんなにこちらが歩み寄っても受け入れないその頑なな頑固さに、焦りと怒りと悲しみと、とにかく複雑な感情が入り乱れた難しい頃でした。

繰り返しあいてに求めてもそれは叶わず、既に切り捨てられているかもしれない不安や、多分両肩をつかんで揺すぶって問いただしたいような憤りもそこには存在しているようで、やはり最後はハッピーでない終わり方でした。

語り部のようにその世界をまざまざと見せつけるような二人のコラボ。
この二曲のチョイスはこの組立方からしてちょっと格式の高い空間だったように思えました。
高みに登っている人たちだからこその孤独なんかも感じて、私が日々感じている小さな絶望もこの楽曲の中の「彼」のように救いのないものでもないように思えてくるから笑えます。

YOSHIKIさんの心配りや、後輩の位置にちゃんととどまって「であります」とか言っちゃうhydeさんにちょっとにやにやしちゃう途中MCもあったりして、WOWOWさん、この二人の2曲は割愛しないでくださいね!!!2曲しかないんですから大丈夫ですよね!!!

と拳をにぎった私です。

長々失礼しました。





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ご無沙汰しています。
VAMPARKから長いこと書いていませんでしたが、皆さんお変わりありませんか???
あの後、
・VAMAPSのZEPP NAGOYA二日間参戦
・「館長庵野秀明 特撮博物館」見学
・年末年始のシステム変更
・2種証券外務員試験
と私的にいろいろなことがあったのですが、残念ながらブログに書き留める元気と根気に欠けていましたね。

VAMPSに至っては、すでにZEPPツアーの全日程を追えてしまって今更な感想もどうかと思うのですが、まぁ、とにかく新しいアルバムのおかげでライブの色合いが変わった感じと変わらない感じがごちゃ混ぜでおもしろかったです。
おもしろかったというのは名古屋のライブが早い段階であったのでまだ試験走行的な感じが否めなかったってところなのでしょうか。
BLOODSUCKERS
今年のVAMPSがこのアルバムを中心にして国内外に打って出ようという野心をアピールできる名盤です。

とはいうものの、ハロウィンパーティで試験演奏したときの心許なさはみじんもありませんでしたね。
あのときの演奏するのが必死!って言う感じも見受けられませんでした。
オーディエンスも名古屋ではすでにノリを手探りする状態から一歩踏み出している感じがしました。

ZEPPツアーは毎回本当に「魂入れ込んでる熱気を暴力的にこちらに投げかけてくるパフォーマンス」が魅力で、だからこそそれは演奏し慣れて先のわかる、アーティストオーディエンス両者が安寧世界に居てはならないイメージがあります。

そういった意味で「BLOODSUCKERS 」の楽曲はどれもどこかぎらぎらした感じがしました。(例えミディアムナンバーであっても)
演奏の完成度がどうこう言うより、音の善し悪しがどうというより、とにかくそこを積み上げていく姿勢は本当に尊敬できると常々思っています。
その過程にライブを体験できたのは嬉しいことだったなと。

まぁ、個人的なことで言うなら
会社のシステム変更のあまりの激変にそこそこ老いた私の脳みそはついて行けないわけですよ。
証券外務員なんて書かれてることの単語の意味を把握することすら四苦八苦なわけですよ。
実際10年前に受けた生保の試験や、新システム移行(10年前もあったのだ)にこれ程の苦しみを感じませんでしたからね。
受けなければ受けないで何とかやって行かれる状態から、何であれステップアップを図らざるを得ない状態に身を置いたのであれば頑張るしかないわけで、R25でHYDEさんが言った年齢を言い訳にするかっこ悪さをひしひしと感じていたのでした。

引き替え彼はどうなんだろうね。
いつもはこういう自分のポリシー的なことはあまり語らない人だと思っているので(細々したことじゃなくて根幹な部分ね)ちょっとした衝撃とその潔い漢な部分をしっかり見せつけられて、もう、感動するしかないでしょう。と思ったのでした。

ですから、彼がそのZEPPツアー終了後インタビューで答えたとある部分を取り上げて悶々とすることは私はこれっぽっちもありませんでした。
彼の考えに自分の気持ちを左右される事もありませんでしたし、それについて深く考える事もありませんでした。
彼が与えてくれる「生きる姿勢」のグレードに、その過程に水を与えられた一員であれば嬉しいなと思うことはありますね。

これを献身ととらえるか、盲目ととらえるかは勝手ですが、とにかく私が今生きて、感動して、明日への活力を求めたとき、そこにどこまでも前向きにステップアップして行こうと言う野心の見える人はその年齢が高ければ高いほど指針になるのです。

若い人には理解できないだろう、防ぎきれない老化をあっさり認めないのは実は凄く勇気のいることなのです。

今から始めることを恥じない。
国内では、もうイエスマンしか居なくなってしまったであろう人が、それでもこれから外にでる。
そういうモチベーションを持ち続ける気概が気高いと思うのです。
似たような年齢の彼の周りの人が(メンバー、スタッフ双方)そんな彼についていくのは大変なんだろうとも思うし、摩擦が何もないとは思わないけれど。。。
だから感謝なのです。
自分一人では成せない領域ですからね。


そういう部分ひっくるめて、VAMPSをこれからも応援したいし見届けたいと思ったここ最近のせいらでした。




明日はVAMPARKその前にBLOODSUCKERSの感想をちょこっと。
ハロパの感想文も途中までで書き終わっておらず、
もしやこのまま日の目も見ずに下書きのままで終わることになるかもしれないぞ~~(ToT)
と、ちょっと最近の多忙と、自分自身への失望とでなかなか浮上できないせいらですよ。
こんばんは。

前から言ってたことですが、来年1月から、勤め先の信金のシステムが変わるのです。
それは本当に一大プロジェクトであることに間違いはないのですが、日中の業務の合間に新システムのオペレーションをマスターするとか短時間のパートには(しかも私のように老齢にさしかかってる職員には)ハードなんて言葉では片付けられない程の負担です。
でも、できないなんて言ってられない。許されない。
私よりうんと年上の人もそれはひたむきに頑張ってるわけで、、。
そしてR25のHYDEさんが「年齢を言い訳にすること」にもの凄く否定的だったのが、実は案外嬉しかった。
この人は、自分を鼓舞してる。
まだやれると自分に言ってる。
こんな大きな事をやっていてもまだまだこんなものじゃないと。
自分にかける負荷は人によってスケールとして違うけど、今自分にかけられてるプレッシャーは自分自身が何とかしなくちゃね。

頑張るって言葉は嫌いじゃない。
頑張ってる人を尊敬こそすれ、馬鹿にしたことはない。
頑張れない自分が恥ずかしいだけだ。

はい、さんざんブログが途中で止まってることの言い訳しました。すいません。

さて、名古屋は追加公演から始まるVAMPSツアー2014。
私はVAMPARKが最初です。
そして、土曜日、最終日と2日間のライブ参戦になります。
ZEPPでお会いできる皆さん、■D\(^^宜しくお願いします。

去年まであまりワクワクと待つことがなかったVAMPSですが(いや、結果もの凄く良くて東京追加公演行っちゃいましたけどね)今年はちょっと違います。
アルバムがあるとないとでは大違いって事でしょうか。。。
いや、そのアルバムがすばらしかったのでなおさらなのです。

まだ、曲のタイトルと誰が作曲者なのかとか細かなことは結びついてはいないのですが(通勤の車内で流しっぱなしなだけので)そのうえでの感想ですので勘違いとか色々あったらすいません。

BLOODSUCKERS
一曲一曲を歌詞カード片手に聴き込んでいるわけではないので本当に自分の感じたままをちょこっと書き留めておこうかな。
な程度なので浅いかもしれませんが。。。。

まずね、1曲目からぐっときたのです。
何だろう。
このイストルメンタルなピアノ曲は。。。桜がはらはらと舞うような「和」のテイストで飛び込んできました。
同じフレーズを繰り返すハノンのようで、クラシック曲を練習する前に必ず複雑なハノンの練習をしていた次女の面影なんかも見ちゃったりして、私、泣きそうになりました。
和であるはずがないのに和で責めてくるのはSAYONARA国立のL'Arcのオープニング映像の転換場面で三弦を鳴らすというそのコンセプトに符合する演出の妙なんかを思いだされます。
いや、この曲は和ではないですよ。。。
ないんですがね。。。
バンクーバーの高橋大輔がエキシビションで踊った曲とラインが似てて、その衣装に桜があしらってあるのがもの凄く幻想的ですてきだったことなんかの記憶とごちゃごちゃになってるのだと思われます。
とにかく、今までのアルバムのオープニング曲の次の曲への導入という立ち位置的な感じとも全く違って、これを聴いただけでこのアルバムに対する期待が上がったのでした。

シングル曲を除けば自分たちのやりたい理想の曲だから楽しいとHYDEさんは言っていたけれど、凄く振り幅の広い楽曲ばかりでしたね。
そしてHYDEさんの韻を踏んだ英語詩が今更ながらめちゃめちゃ楽しいと思ったTHE JOLLY ROGER。
これとその部分に日本語をちりばめたGET AWAYはそういう意味で秀逸な感じがする。
特にTHE JOLLY ROGERはHYDEさんの向かっていくべき道が、何かもの凄く明るいと思わせてくれて元気が出ます。
この旗の下に集まってみんなで航海にでる。
荒波が来るかもしれないけど、前途洋々な未来も見えるようで頼もしい。
そういえば今朝、ちょうどこの曲がかかってるときに前を走ってる車が真っ赤なエクストレイルでしたよ。
VAMPSのステッカーでも貼ってあったらもっとテンション上がったでしょうが。。。。

あとVLとかはこのアルバムの中でとても柔らかくて美しいところにあったりと、全体としてもの凄くメリハリのある、春夏秋冬起承転結みたいな。。。。何というか、シングル曲が無理なくその流れにはまり込んでる凄くクレバーなアルバムにも思えたのでした。
どれか一曲でもコンセプト的なまとまりから外れた曲があるものなのだろうけども(とくにシングル曲は仲間になりきれないことが多いよね)近未来的な流れになればそこにはまるし、郷愁をさそう切ない流れが来ればそこにはまるっていうね。。

そういえばハロパでたつろーさんに
「ヴォー!(デスヴォ)ってどうやって出すの??」
って何度か聞いてましたっけ。
私は別にそれが聞きたいわけじゃないけど、HYDEさんは出したいのだろうねぇ。。。なんて曲もありました。

あれやこれや、感心したり感動したり、これを生み出すまでの苦労なんかをおもんばかってしみじみしたところへINSIDE MYSELF がラスト曲として流れてきます。
これね。。。
最初に聴いたとき運転しながら泣きました。(大げさでも何でもなく)
QUEENの「WHITE QUEEN」を聴いたときの感動が蘇りました。
静かな導入部から短調なメロディラインに乗せて弦とドラムが盛り上げてまた静寂に帰る。
繰り返すフレーズがリフレインになって切なさを増幅させるのだけど、この終わり方がオープニングに続いていくようで、ますます切なくなるのです。
これは他のミディアムナンバーとはちょっと違う。
聴かせ曲のようでありながら、凄くロックなんです。
凄く荒削りな感じがするのは、これからメジャーに出ようと意気揚々な頃のQUEENと被るからなのでしょうか。。。。
凄く凄く若い感じがする。
そしてHYDEさんのインタビューがまた思い出されて、感動するのです。
老成するのはまだ早い。

ここでぷちんと終わらせないラストの余韻で、このアルバム自体凄く上品だったことに気づきます。
収録曲がいかに荒くれているロックであろうと、洗練されたニューウェーブのようであろうと、ヘヴィであろうと、メタルであろうと、このオープニングとエンディングで抱擁してしまうのだなと。。。。。。
JU-KENさんが言ってた「あにぃの想い」私はそんな風に受け止めました。

永遠の命より、見つめていたい一生があるのね。VAMPIRE’S LOVE
つい二日前。
台所で転びました。
なんての??最近よく転ぶんですけど、(ああ、最近でもないか。国立の時も天×HYの時もすっころんだっけ。)そのたびに感じるんですよ。
自分の反射神経とか、空間認知の能力低下。はたまた自分の重量と身幅の認知不足。
これは、言いたくないけど。。。。やっぱり老化現象なんですかね。。。。
そういえば会社の保健師さんとの面接の時間を確認されたとき「年齢的に更年期障害が。。」とか次長が言ったので「そんな物、とっくに過ぎましたけど。」と返しつつ、じゃぁ、そのあと来るのは何なんだ???ボケか?なんて、心の中でセルフ突っ込みしましたとさ。とほほ。。。

そんなワタクシ「VAMPIRE’S LOVE」に老いることへの幸福感なんかを見つけたのですよ。
長岡でみんなを感動させたPV。
大絶賛で、こんなに楽しみにしたオンエアはありませんでしたよ。
発売日までお預けするファンも、いち早く動画で見るファンも色々でしたが、ネタバレしない感想を心がけたつもりです。
私は我慢しないファンでしたので。

切なくて泣けたと言う前評判を聞いたとき(監督が二階さんだったこともあって)、「下弦の月」みたいのだったら嫌だなと思ってました。
永劫この世に漂うシチュエーションなら「MOON CHILD」の方が自分を納得させられたので。

とにかく、私的にHYDEがひとりぼっちで恋人の生まれ変わりを待ちわびて白夜を彷徨うような物語では、救いがなさ過ぎて引きずってしまってつらい。
MOON CHILDは劇場とDVDとBlu-rayで数回見ましたけれど、下弦の月は実は一度しか見てないのです。。。
少女漫画が原作で、ヒロインは栗山千明であるにもかかわらず「HYDEを選んで上げて~。幸せになって~~~」って・・・。アホですね。
引き替え、何であれ、がっちゃんと一緒なら灰になってもハッピーとか、もう、私が救われない。

MVを見終わって。。。。。
私、凄く幸せな気持ちになりました。
「はぁ????」って言われましたけど。

いや、確かに恋人(奥さん??)に先立たれ、あまりに深い悲しみ故(なのか経緯がわからない)にVAMPIREになった彼。
これはジバニャン的存在だとするならば。。。ね。
その面影にそっくり(って言うか生まれ変わり?)な女性をみつけてときめく。
バレエを踊る彼女を窓越しから見つめる、ありがちだけれど、初々しいシーン。
バラの茎を握って出血した血をぬぐう表情が可愛らしくて、これ、どこかでこんな場面をみたぞ~~。と遙かな記憶を辿りましたら。。。
「小さな恋いのメロディー」だ!と思い当たりました。
バレエのレッスンをするトレーシイ・ハイド(やだ、ハイドよ。笑)をドア越しに見つめるマークレスター。
もう、少年ですね。。。
首筋がクローズアップされるのが、血潮が流れてる生気の躍動なんかを感じて、血液パックでは我慢できなくなったか、人間を襲ってしまうシーンも、すごく心情的に理解できると思いました。
自分の中に「生きる」事のあこがれがまだちゃんとあるのだって。
だから脈打ち流れる血液に惹きつけられる性なんかが皮肉だね。。。。

優しいシーンはまだたくさんありました。
急に降ってきた雨を恋人と二人でコート羽織るシーン。
吸血鬼にとって命綱にも近い紫外線よけの傘(って言うと現実的だわ)をせっかく貸すつもりだったのに気づかず行ってしまう報われない場面。

でも、彼女にはちゃんと彼女を幸せにしてくれる人がいるのを理解していて、影からそっと見守ってるのもけなげです。
彼女が車に轢かれそうになって身を挺して守り、道路に倒れる彼の瀕死の表情が、どこか満足げに見えるのは錯覚でしょうか。。。
結局彼女を仲間にすることはなかった彼。
所々幸せだった頃の自分と妻のシーンを織り交ぜて、彼女が妻とは違う人間であることを納得させているようにも見えましたね。

最後、年老いた彼女のベンチにバラを置くシーン。
私はここに一番昂ぶりました。。
彼は、年齢を重ねることがかなわなかった自分の妻を彼女の姿に投影していたのではないかと。
きっと、人間として生きていた頃はこんな風に二人で共に生きて年を取って行く事を信じて疑わなかったのだろうな。。。。
永遠の命は(木原敏江で言うならば「不死は人間の夢です」なのかもしれないけど)むなしいだけです。
たかだか80年でも、それが輝きだと。。。

二人で一緒に年老いて人生を全うできることの幸せをしみじみ感じてしまいました。
あぁ、私が足下おぼつかない年齢にさしかかったからか。。。。(と、冒頭のぼやきに戻る)

そして、K.A.Zさんです。
人間に未練のない、いっそすがすがしい程のエドガーでした。
でもね、これ 「EVANESCENT」のMVでも感じたのですが、静かに慟哭するからこそ悲しみはえぐるように強いのだろうと思われるHYDEさんの傍らで、慰めるわけでも、叱咤するわけでもなく、黙っていたわるようにギターを爪弾く姿がマチアスでね。。。。
EちゃんはあそこでHYDEが灰になったら世間が大騒ぎしてめんどくさいから助けたのよ。とかつぶやいていましたが、まぁ、それはそれとしておもしろいかもしれないけど、いつまでも人間に焦がれるHYDEをそれごと包んでいるのだなと、その慈しみ深い風情がやはり見終わったときの幸福感にひと役買っている感じがします。

セピアの世界で小鳥の鳴き声の響くうららかなガーデンで踊る妻を優しく見つめる彼。
彼女の膝下が軽やかに蹴り上げられた一瞬で映像は終わりです。

本当にすてきなMVでした。
HYDEさんの中のヴァンパイアのあり方が少しわかる気がして幸せでした。


ふとアーティストの想いなるものを考えてみた話。
そりゃ、まぁ、何でもかんでもHYDEさんに絡んでくるのは仕方ないと思って読んで頂きたいんですが。。。
私、何かちょっと暑苦しい人らしくて(自覚なかったけど、誰も否定しなかったのでどうやらそうらしい)。
こと、自分が好きな者や興味のあるものにたいしてははた迷惑なほど語っちゃう人らしいんですよ。(この期に及んでらしいという第三者的な表現使ってみました。笑)

そうそう、ハロパの発表がありましたね。
あると思ってはいたけれど、去年のハロパの後のいつになく長い感謝のコメントをHYDEさん自身がゲスト出演者にしてたのを読んだとき、一抹の不安を覚えたんです。
本当に一区切りつけたいのかもしれない。って。
これだけの会場をイベントがある季節に押さえるには年単位ではないのかと思っていたので、こんなギリギリまで何の予告もなしなんてと思ってもいたしね。
ハロウィンパーティ。。。
最初は小さな会場で、本当に仲良しの飲み友達と楽しいパーティを開いてるって仲間意識をファンにお裾分けするためのイベントだったはず。
それがどんどん大きく大きく育っていって興行的に成り立つようになったのが、返って義務化されて負担が増大になってしまったんだろうなぁ。。。
こういう方向、好きだからスタッフに任せるとかなさそうな気もしますよね。

私は自分が仮装するのはちょっと。。。ですがHYDEさんやら、会場に集まる皆さんの仮装を見るのは大好きです。
ライブも、いつもは見られないちょっとよそ行きな空気も感じられる。
ゲストアーティストについては、普段のライブにも行ってないのでよくわからない。

だから、ゲストについては誰でも良いのです。
誰がゲストだから行きたい!とか行きたくない!ってのは私には一切ありません。
VAMPSがいつもと雰囲気の違うライブをやるから、
素のHYDEさんを感じることが出来るから、
気合いの入った趣向を凝らした仮装を見たいから、行きたい。

そんな単純な欲望なんです。

今回、仕事の関係上行けるのは10月最終週しかなくて、会場は神戸でした。
チケットはありがたいことに、私が賭けた日曜日もみぃちゃんが賭けた土曜日も無事にゲットできて、宿泊施設も近場が取れてほっと一安心。
最後は幕張だと思ってたので、関東組さんに会えないのか~と残念には思っていましたが、今回皆さんの参戦率が低いので諦められる気もしました。

ああ、仮装庭園でちょくちょくお話しさせて頂くムッカーさんに神戸ハロパの話をしたらうらやましがられましたわ。そういえば。
彼女はライブハウスの頃のラルクの事よく憶えていて、彼女自身ガールズバンドを組んでた関係上、当時のうちわ的な話もちょっとしてくれたりしました。
いわく、HYDEさんはまなざしが凄く強くて印象的で、横に並ぶと小柄な人なのにステージに立つとそれは大きく見えたと。
彼女、今はバンドも辞めてライブは全然行かないそうなので(卒業だそうです)残念ですが、同じ出演者として、ステージに立った経験があるってのは凄いことなんじゃないかと思います。
みんなで音楽シーンを盛り上げたいと言う志があったらしく、パフォーマンスのアドバイスなんかもTMの西川さんとか、凄く親切に熱くしてくれたと言っておられました。
そういう昔なじみの人たちが大きくなっていくのは感慨深いのだろうなぁ。。。

なぜ辞めたのか聞いてみましたら、実力と理想にギャップがあったと。。。
それを自分に言い聞かせるのは大変な挫折だったろうと思いました。
辞め時を自分に納得させる。。。自分に対しても残酷な決断だったんだろうと。。。
今は外から眺めていて満足できている。とのこと聞いて少しほっとしました。
次女がバレエを辞めるとき、やっぱり限界を感じてたこともあったけれど(体系的にもセンス的にも)これから先、客観的にバレエを見られるときがくるのか不安だったので。

さて、長い前置きしました。
じつは先日森山良子さんのコンサートに行ってきました。
コンサートって言うのは古いらしいのですが、やっぱり往年のボーカリストにはライブじゃなくてコンサートというほうがしっくりくるわけです。
その年齢には思えないほどの声量と声質。
どこまでも完璧な音階と、正確なリズム。
透明感に包まれたかと思えば、笑いも誘われ、慈しみを感じたと思えば、慟哭する激しさもぶつけてくる・・。
本当に感動的だけれど、じいちゃんばあちゃんでも理解できる優しい歌もあって、最後には半分くらいの観客がスタンディングで手拍子していました。観客の平均年齢60歳に近いと思いましたけどね。
なんちゅうしたたかなライブなんだ。最後はライブだって思いました。コンサートじゃなくて。
こういうのを身近で感じて育てば直太朗さんのようなミュージシャンができあがるのかと納得できるものでしたよ。

そしてそのときのMCにぐっとくるものがありまして。。。。
フォークソング全盛期だった彼女のデビュー当時「この広い野原いっぱい」がヒットして、さぁ、これからこの路線で行くんだ。と信じていたそうなんですが、「禁じられた恋」を事務所がもってきた話です。
その頃既に音楽シーンは歌謡曲になっていたのがその理由らしいのですが、やっぱりシンガーとして歌謡曲をちょっと馬鹿にしてた部分があって、「こんな歌うたえない」っていやがったそうなんですよ。
それでも事務所の説得に渋々応じてしぶしぶ歌っていたそうなんですが、それが自身最高のヒットソングになったって話です。
今歌えばなんてすばらしい楽曲を、年端もいかない若い娘が生意気に評価していたのかと懺悔しておられましたが、音楽を取り巻く環境に肩肘を張っていたら今の彼女はいなかったのかもしれないと思うと、アーティストとして長くやっていくのが理想だったとすれば正しい選択をしたのだと思いました。
たとえ、当時それが敗北と感じたのだとしても。。。

hydeさんが自身の書物で、音楽性の違いを語っておられたのを思い出しました。
この方向に行きたくない!!!
そう思うその楽曲を演奏することは屈することに等しかったのかもしれない。
売れ筋の路線で、メジャーシーンを席巻することは事務所の夢であり、スタッフの夢であり、本人達の夢でもあったはず。
例えこのメロディでいきたかったわけじゃなかたとしても。。。
軋轢を感じざるを得なかったし、とてつもない負担だったのだろうと。。。
「これをやりたい。でも、お金がないからできない」から「お金があればこれができる」に考えを切り替えて、いざ、お金が出来たら今度は自分の理想と違う楽曲がシングルになってしまう。。。
しかもバンドが巨大化して自分の意思では方向転換できない状態。。。
これを繰り返すのが嫌でたまらなかったと言うのが森山良子さんのMCで余計リアルに感じられたわけです。

この年になったから、色々理解できるし、今があるからあれは間違いではなかったって言うのもね。。。
長くやってきたからこそって言うhydeさんのMCに通じるものも感じて。。。。

結局、誰のライブに行こうが、ふとしたMCがHYDEさんに結びつくって、ちょっと自分の記憶に留めておきたいエピソードでした。

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